自己紹介

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方波見牧場代表の方波見真人と申します。
方波見牧場は、父の方波見勝久が旧太陽農産加工センター ( 旧大洋村飯島)として、1992 年からハムの製造を開始しました。
その後、デュロック純粋種「やまの華豚」にこだわり、2014 年より新たに、「鉾田ハム」として手作りハムの製造を再開致しました。

鉾田市内でデュロック純粋種「やまの華豚」を育て、ハム製造まで家族で一貫して行っています。
「鉾田市」に密着し、鉾田市の魅力を県内は元より、全国に発信できるよう、努力して参ります。

必要最低限の発色剤を使用し、調味料は塩と砂糖のみ。増量剤、防腐剤、合成甘味料は一切使用していません。
そのままはもちろん、食材としても美味しく召し上がれます。

苗字の方波見「カタバミ」は珍しいようで、「カタガミ」さん「ホウナミ」と聞かれますが、鉾田市ではポピュラーな苗字です。
父いわく、酢漿草を水に浮かべ、水の波紋を見るところから由来が来ているとのことです
( 父の話は、本当かどうか怪しいところです。)

私の住む中居はその昔、白鳥村で白鳥の郷と言われていたそうです。

諸説ありますが、この中居は常陸国風土記によると、天から白鳥の飛来した場所と言われています。
( イスズ自動車さんのホームページより )

そして、 私の家の先祖は神主だったらしく、子供の頃は「しんや」の息子と御近所さんに言われて育ちました。
私は今のいままで、「新家」だと思っていたのですが、なんと「神家」だと知ってかなり驚いて、父にいろいろ話を聞くと
この土地はいろいろと面白いようです。
その昔、中居城があり、私の住んでいるあたりが碁盤の目のようになっているのは、 元々武家屋敷があった場所だからだとか。御先祖は社を代々守ってきたとか ( その社はもう影も形もないのですが・・・)
なんでもっと早く教えてくれなかったのかと思いますが、いい機会ですので、父に聞いて少しづつ書いていきたいと思っています。

幼少期

三人兄弟の末っ子として、1992 年 10 月 2 日に生まれました。


  • ※一番右です

その日、一人で車を運転し検診に向かったそうで、お医者さんは母を見るなり

「陣痛が来てますよ、即入院してください」とあわてたそうですが、

まさかその日にとは思っておらず、何も持ってきていなかったため、一度帰りたい旨伝えると

「帰ってもいいけど、生まれるよ」と言われ、しょうがなく京成で買い物をして、
無事その日のうちに私を産んだとのことです。3000g ぴったりだったそうです。
そして何より、私が生まれた1992年10月2日は父が鉾田ハムの前身である
「太陽農産加工センター」が設立された日でもありました。

さて、私の幼少期はとにかく寝るのが大好きで、ふとんの間に挟まってばかりでした。

しかし、その生活が激変するのが小学三年生(8才)の時。

母から「隣町へ買い物にいく」と言われ、一人車に乗せられ、ついた先は

清真学園のグラウンドでした。「買い物は?」との私の問いに、母は「終わってから」と一言。

何が何だかよくわからないまま、ついていくと、ボールをもって走り回ってる同い年ぐらいの子供たち。

すると、背の高い男の人に「どうだ?やってみるか?」と声をかけられました。

とっさに「( 話が違う)結構です」と口を開くと、その男の人は「じゃあ見ててくれ」と・・・母も動く気配がなく、
私はただただ茫然と、みんながボールを追いかける姿をただずっと見て、その日は帰りました。

そして、また次の週も同じ手でグラウンドに連れて行かれ、
また、その背の高い方が「やってみるか?」と声をかけてきます。
・・・・まあとりあえずやってみました。すると、意外と面白かったのです。
それが私がラグビーを始めるきっかけとなりました。
それから小学3年生から小学6年生まで鹿嶋ジュニアラガーズでお世話になり、どんどんラグビーが好きになっていきました。

そして、中学1年生からは水戸ラグビースクールの中学部に通い、
茨城選抜メンバーに中学1年生から3年まで選ばれ、高校は故石塚武生先生に誘われ、常総学院高校に入学しました。

父の後を継ぐ

私は高校まで(?)寝ているか、ラグビーしかやっていませんでした。

そして、私の高校卒業が近づいている頃、父はデュロック純粋種を続けるか、やめるか悩んでいたのです。

「この豚をここで終わらせるわけにはいかない」と、

私は大学へ行かず後を継ぐことにしました。

だからといって、そのまま家に入ってはダメになると思い、高校卒業後は父の元を離れ、まず飼育の勉強をしようと、
神奈川県愛甲郡愛川町の海老名畜産で二年間お世話になりました。工場長の笠見さんからは、常に豚の気持ちを考えて、
豚に接しなさいとの教えをいただきました。笠見さんの豚に対する愛情は相当なもので、従業員が豚を鳴かせようものなら、
たちまち不機嫌になりどこかへいなくなってしまいます。それだけ豚に対して真摯な方でした。
そのため、農場の豚たちは信じられないぐらい笠見さんに懐いています。
父の農場しか知らなかった私にとって本当に勉強になりました。

その後、麹発酵飼料TOMOKOという河内菌(種麹)を使った飼料への可能性を感じ、
鹿児島県霧島市の源麹研究所さんで約二年お世話になりました。会長の山元正博さんは麹の研究の第一人者です。
天才というのはこういう方のことをいうのでしょうか。精神力の強さ(空手は黒帯です)、ひらめきは本当に素晴らしかったです。

山元会長が開発した麹発酵飼料TOMOKOとGEN麹リキッドフィードを使った実験を試験農場で管理を任されたことは、
大変光栄でした。また、源麹研究所と併設のPRAHA&GEN(チェコ村)では、接客や、
父が作った鉾田ハムをイベントなどで販売させていただいたりもしました。貴重な経験でした。

スロヴァキアの留学生が手伝ってくれました

そして、2015年6月から兵庫県姫路市の播州ハムさんで、店主の堀田周郎さん、
工場長の大江千裕さんに三か月間ハム作りを学びました。その間、息子さんの宏次郎さんといっしょに、
群馬の全国食肉学校へ研修に行ったり、私のために三分割の枝肉をわざわざ仕入れてくださり、
さばき方を教えてくださったり・・・本当にみなさん親切丁寧にたくさんの技と、人への心遣いを教えてくださいました。
堀田さんは最終日「研修はこれで終わりだけれど、いつでも来ていいよ」と言って送りだしてくださり、
堀田さん、大江工場長にはお電話やメールで相談にのってくださっています。本当にありがたいことです

高校生活も三年間寮生活でしたから・・・・かれこれ約7年間実家を離れ、2016 年1月に鉾田市に戻りました。
まだまだ修業のみですが、おいしいハム、豚肉を皆さんにお届けできるように頑張ります!!